社会医療法人 平和会 吉田病院

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父と娘、たまに医師。 第1回

加納 麻子

平和会地域緩和ケアサポートきずな

加納 麻子 (日本緩和医療学会 専門医)

緩和ケア医が、自身の父の最終章に関わってきた思いを綴るエッセー。6回にわたって掲載します。

「関係性が変わるだろ」

実は、医師である私は娘でもあります。緩和ケアを専門とする私は、たくさんの方々の最終章に関わってきました。でも、父を看取ることは初めてで一度切りの経験でした。これから読んでいただくのは、私が、父の最終章に娘として、たまに医師として関わり、学んだことです。

「今度一緒に病院に来てくれんか。先生に家族と一緒に来るように言われてな」父の検査結果を見てみると、前立腺癌のマーカーが基準値を大幅に超えており、明らかに早期ではないとわかりました。緩やかに進行するものの、いずれは命に関わりうるがんです。父のこれからの時間を思い、寒くもないのに震えた夜を憶えています。

父は治し切れないがんと診断されました。病院からの帰り道、父は私に、母を含めて他の誰にも絶対に言わないようにと指示しました。その頃、母は体調を崩していましたので、自分のことで心配をかけたくなかったのでしょう。幸い薬が効いて腫瘍マーカーは下がり、父は問題なく日常生活を送っていました。

しかし、診断から2年が経過した頃、いよいよ治療が効かなくなり再び腫瘍マーカーが上昇しました。さすがに母が知らないのはまずいと私は焦り始めました。「そろそろ伝えた方がいいよ」と説得するものの、父はなかなかうんとは言ってくれません。何故そう頑なに伝えたくないのかを尋ねると、予想しなかった言葉が返ってきました。それは、「関係性が変わるだろ」という言葉でした。父は慎重な性格です。心配をかけたくないだけではなく、二人の暮しの中に流れる空気が変わり、気の置けない関係が変化するのではないかと懸念していたようです。とはいえ、母自身にも心づもりをする時間が必要です。娘の私からだけでは折れないため、主治医にも事情を説明し、一緒に説得してもらいました。

後日、ようやく父自ら母に伝えたことがわかりました。母はあまり深刻にとらえていなかったので、きっと父は大したことではないかのように伝えたのだろうと思います。それでも私は、これからの経過を母とも一緒に共有できることに安心しました。

自分の大きな病気は家族にとっても一大事。それがわかっていても、いやむしろ、わかっているからこそ伝えるのが困難になってしまいうることを、私は父から教わりました。人は関係性の中で生きています。その変化は怖いものですが、一大事で関係性がより強固なものに変化し得ることも私が学んだことの一つです。(つづく)

加納 麻子
父との最後の旅になった立山、弥陀ヶ原の日の出
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