社会医療法人 平和会 吉田病院

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父と娘、たまに医師。 第2回

加納 麻子

平和会地域緩和ケアサポートきずな

加納 麻子 (日本緩和医療学会 専門医)

緩和ケア医が、自身の父の最終章に関わってきた思いを綴るエッセー。6回にわたって掲載します。

「食べられないとつまらないんだよ」

父は、糖尿病治療のために打っていたインスリンを、定められた量よりも多く打ち、頻繁に低血糖を来すようになりました。なぜ危ないほどにインスリンを打つのか尋ねました。「食べられないとつまらないんだよ、血糖を下げれば食欲が出るかもしれないと思ってな」という言葉に、空腹を全く感じなくなった父の焦りとつらさを初めて知りました。

今まで美味しく食べていたものが、食べられない。それどころか食べ物としてすら感じられない。無理に食べようとしても吐き気と冷や汗が出て、とてものみこめない。健康な者には想像を絶する感覚です。父の中で全身に拡がったがん細胞から食欲をなくす物質が放出されているのが目に見えるようでした。70キロ以上あった体重は半年で50キロを切るほどに痩せました。

手を尽くして食事を用意する母は、「あんなに食べることが好きだったお父さんが可哀そう」とキッチンで泣いていました。母はスーパーに行けば好きなものが見つかるかもしれないと父を連れてゆくものの、上手くはいかなかったようです。たくさんの食べ物が並ぶ中を、食べられるものが一つも見つからずにさまよい歩く父の姿が目に浮かびました。

私は父に、食欲や味覚を改善する薬を処方しましたが、期待するようには効きませんでした。

父からメールが届きました。「高知から鰹のたたきを取り寄せて欲しい。昔食べたあの味が忘れられない」とのリクエストに、私は早速取り寄せ、食べさせたものの、かつての美味しさは感じられなかったようで、数切れしか口にできませんでした。

私は、弱りゆく父と悲しむ母を目の当たりにすることや、自分の無力さに直面することがつらくなり、実家に足が向かない日もありました。それでもやはり心配で実家に帰り、庭の縁側から父の部屋をのぞくと、父が穏やかに眠っていました。しばらくその姿を眺めていました。それだけで私は安心を感じたのです。父が家でこうして静かに時を過ごしている。そのことを大切にしていこうと思った時でした。 (つづく)

誕生日ケーキ
父は甘いものがすきでした
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