社会医療法人 平和会 吉田病院

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父と娘、たまに医師。 第4回

加納 麻子

平和会地域緩和ケアサポートきずな

加納 麻子 (日本緩和医療学会 専門医)

緩和ケア医が、自身の父の最終章に関わってきた思いを綴るエッセー。6回にわたって掲載します。

「死んだのか?志村けんが?」

がんになってからも、私は何かと父を頼りにしていました。自分ですべき事務手続きも、たいてい父が代わりにやってくれました。また、がんの進行で食べる楽しみを失い痩せゆく中でも、難しい中国史の本を熱心に読んだり、世界の政治経済について説いてくれました。わからないことは訊けば大体答えてくれる博識な父でした。

それが一転する時がふいにやってきました。コロナ関連の話をしていた時です。「死んだのか?志村けんが?」初めて知るかのように聞き返す父の驚いた顔に、逆にこっちが驚きました。数か月前に志村さんが急逝したことは大きく報道されていたので、知らないはずがないのです。しかし、すっかり記憶が抜け落ちていたのです。びっくりして「岡江久美子さんも亡くなったのは憶えてる?」と尋ねて父を一層不安にさせました。

記憶だけではありません。毎年難なくやってきた自動車保険のネット更新手続きも、なかなか出来ずにパソコンの前で何時間も座っていると母から聞きました。思わず「お父さん毎年やってるやん」と言うと、「自動車保険ってなんだ?」と困った顔をしました。

がんが進行して体が限界に近付くと、記憶や意識が曖昧になります。それは、私が長年患者さんを診てきて日々当り前のように経験してきたことです。同じことが父に起きたに過ぎないのです。ただ違ったことは、病状悪化を認めねばならない悲しみと、もう頼ることはできないのだという焦燥感でした。しかし、出来ていたことが一つ、また一つと出来なくなる喪失の連続に、不安や恐怖を最も感じていたのは父本人のはずです。

新緑の庭から爽やかな風が吹き入る六月。最後の「父の日」になることは分かっていました。新しいパジャマに「役に立てることがあれば教えて下さい、私も考えてゆきます」とメッセージを添えて贈りました。久しぶりに見る父の笑顔に、大切なことは父が安心して過ごせるようにすることだと心を決めていきました。

本をくれる父
姉と私に然るべき時に然るべき本をくれる父でした
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